伊豆・修禅寺に記念碑建立 除幕し完成祝う―集団疎開経験者

伊豆日日版 2017年09月08日

疎開の碑を除幕する代表者=伊豆市修善寺の修禅寺
疎開の碑を除幕する代表者=伊豆市修善寺の修禅寺

 ■慶応幼稚舎「記録」発刊が縁  地元旅館など協力「大きな喜び」

 戦時中、現在の伊豆市の修善寺温泉に集団疎開した慶応大の付属小学校「慶応義塾幼稚舎」(東京都渋谷区)の歴史を伝える記念碑が、修禅寺境内に建てられた。2年前に記録誌「疎開学園の記録」を発刊した縁で、疎開先の一つのあさば旅館や同寺、護持会の協力で実現した。除幕式を7日に開き、関係者や疎開経験者らが完成を祝うとともに、当時に思いをはせた。

 戦局悪化に伴い、同幼稚舎は政府の命により1944(昭和19)年8月25日から、縁故疎開先のない3年生以上の学童345人と教職員36人が修善寺に集団疎開した。野田屋、仲田屋、涵翠閣(現あさば旅館)の3軒に分宿し、約2キロ離れた下狩野村国民学校(現修善寺東小)に通った。

 翌45年3月10日、卒業する6年生が帰京し、4月に新たな1、2年生十数人が疎開学園に参加した。相模湾への米軍上陸の懸念から6月30日、青森県へ再疎開した。2009年には、疎開を経験した卒業生からの寄付により、同県つがる市に記念碑が建てられた。

 一昨年秋に刊行された記録誌を贈呈されたあさば旅館の浅羽一秀社長は、修善寺にも記念碑建立を望む卒業生の声があることを知った。浅羽社長が同寺の吉野真常住職に伝えると、「境内で良ければ」と快諾され、同幼稚舎へ伝えた。同幼稚舎は疎開経験者だけではなく全卒業生に寄付を呼び掛け、約480人が協力した。

 除幕式には同幼稚舎の教職員や児童、疎開体験者を含む卒業生、地元関係者ら約90人が参加した。同幼稚舎の大島誠一舎長は「青森県と修善寺に記念碑がそろったことで、大きな喜びとともに安心した」とあいさつ。大島舎長や長谷山彰・慶応義塾長、浅羽社長、吉野住職、卒業生と在校生代表者らが除幕した。

 6年生で疎開を体験した林恭弘さん(84)=東京都港区=は「週に1回、修禅寺の境内に集まり朝礼をした」「旅館の人たちにはとても世話になった」などと当時を振り返り「記念碑建立は、疎開に参加した私たちにとって感激」と述べた。

 記念碑は宝物館の近くに建てた。高さは約130センチで小学3、4年生の平均身長にしたという。題字は浅羽社長の書を使用し、碑の横には由来文を彫った石盤を設置した。

 【写説】疎開の碑を除幕する代表者=伊豆市修善寺の修禅寺

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