熱視線=大廓式土器って何?(上)謎だらけの大型壺

2019年05月16日

大廓式の大型壺の特徴の一つである口縁部内側の凸帯。後でひも状の粘土を貼り付け作ったとみられる=写真はいずれも沼津市文化財センター
大廓式の大型壺の特徴の一つである口縁部内側の凸帯。後でひも状の粘土を貼り付け作ったとみられる=写真はいずれも沼津市文化財センター
大廓式の大型壺の特徴である分厚い口縁部。作った人の意匠か凸線は1本もあれば、5本(写真)もある
大廓式の大型壺の特徴である分厚い口縁部。作った人の意匠か凸線は1本もあれば、5本(写真)もある
大廓式土器の胎土に使用したとみられる皮子平火山の土石流堆積物(沼津市内で採取)
大廓式土器の胎土に使用したとみられる皮子平火山の土石流堆積物(沼津市内で採取)
白い粒々が天城山・皮子平火山噴出物の軽石とみられる
白い粒々が天城山・皮子平火山噴出物の軽石とみられる
大廓式土器の分布(福島大の柳沼特任教授、2013年11月作成)
大廓式土器の分布(福島大の柳沼特任教授、2013年11月作成)

 ■皮子平火山の軽石含む 関東中心、東北―近畿に広がる 狩野川流域で作られる

 古墳時代前期、高さが1メートル前後もある大型壺[つぼ]などの「大廓式土器[おおくるわしきどき]」が静岡県東部で作られた。この大型壺は関東を中心に近畿から東北までの広い地域で見つかっているが、何の目的で作られ、何に使われたか―などは一切不明。大きな特徴は約3200年前に噴火した天城山・皮子平[かわごだいら]火山パミス(軽石)を含む土が土器に使われている点だ。ただ全ての大型壺に含まれるわけではないという。作られた場所は狩野川流域の田方や駿東、沼津地区の東駿河で間違いないようだ。一般にはほとんど知られていない、謎多き地元産の土器に迫った。(文、写真 森野宏尚)

 大廓式土器は1960年代、沼津市街地北西側の愛鷹山[あしたかやま]山麓の標高75メートルほどに位置する集落跡の大廓遺跡(同市柳沢)で見つかった。発掘調査に当たった加藤学園高考古学研究所長だった故小野真一さんが、後に遺跡名から命名した。

 大型壺を含む複合口縁壺や折り返し口縁壺、甕[かめ]、高坏[たかつき]、鉢などの器種で構成される。壺は口縁部の内面が鍵状に折れ内面に凸帯が見られ、口縁部の下端が非常に分厚い特徴がある。ひも状にした粘土を口縁部内面や口縁部下端に貼り付けて作ったようだ。狩野川流域で3世紀前半~4世紀中ごろにかけて作られたと推定される。

 この間に4段階の様式の変遷があり、研究者は出土遺物の具体的な年代表記が困難なことから、年代の物差し(指標)として大廓式土器を使い、大廓1~4式期と分類する。

 駿河一帯の土器研究の第一人者である富士宮市教育委員会・埋蔵文化財センター所長の渡井英誉[ひでよ]さん(59)は「大廓式土器は弥生時代後期、東海西部系を中心にした外来系土器の搬入(他地域との交流)を通して成立していった。当初の大廓1・2式期は弥生時代の土器の伝統を引き継ぎ駿河内で使われたが、3世紀中ごろの3式期に画期を迎え、各地へ広がった。模倣品も作られ、それらを含めれば東は仙台平野や山形盆地、西は河内の平野部まで見つかる」と解説した。

 同様に土器に詳しい富士市埋蔵文化財調査室の佐藤祐樹さん(39)は「研究者の中には大廓1、2式は弥生時代にできたという人もいる。現在の静岡市、西駿河の静清[せいせい]平野でも作られたが、主体は狩野川流域。誰が見ても分かるよう地域の特徴的な土を使い、地域の一致団結を図り、地域の人々のアイデンティティーを示した」と強調する。

 福島大特任教授の柳沼賢治さん(63)の調査では、大型壺の搬入先最北部は内陸が利根川流域の群馬県前橋市付近、太平洋岸(日本海側は未発見)は福島県いわき市。模倣品は搬入先の外側地域に多い傾向にあるという。

 「この時期、大型古墳を造る政治基盤がまだ成立していなかった地域もあり、必然的に各地の窓口は(大和王権の影響力はまだない)共同体から大きく脱していない方形低墳丘墓の被葬者だったと考えられる。前期古墳(沼津市の高尾山古墳もその一つ)が確認されているエリアで、高尾山古墳の被葬者と東日本各地の首長間に交流関係が成立していたと考えたい」との見方をした。

 ■胎土に白い粒々偶然?意識し入れた 伊豆ジオと成分再分析を

 大廓式土器の代表格である大型壺は関東を中心に各地で見つかっているが、作られたのは東駿河の狩野川流域とされ、その根拠の一つが一部の大型壺の胎土(材料の土)に軽石を含むためだ。これは天城山・皮子平火山の噴出物とみられる。

 皮子平は標高1100メートル付近の天城山系に位置し、所在地は伊豆市筏場。噴火時に軽石などを多く含む火山灰や溶岩が噴出され、大雨で土石流となって流れ下り、狩野川流域や河口一帯に堆積した。沼津市埋蔵文化財センターの指導主事・前島秀張さん(59)は「皮子平の土石流は沼津市では旧国道1号付近でも見られ、市役所付近で厚さ1・5メートルほどある。大場川や黄瀬川流域一帯では富士山の土石流が確認される。皮子平は焼くと白っぽく、富士山は鉄分を含むため赤っぽい」。

 具体的な生産場所は不明で、皮子平の火山噴出物をなぜ土器に使ったのか?―渡井さんは、この点に「皮子平火山の噴出物を入れることで、軽さや強度を確保する狙いがあったのではないか」とみる。だが「全ての大廓式の大型壺に皮子平火山の軽石が含まれるわけではない」と元沼津市埋蔵文化財センター職員で、現在、明治大黒曜石研究センター研究員の池谷信之さん(60)は言う。

 同市の高尾山古墳からは多くの大廓式大型壺の破片が出土し「10点を当時、職員だった増島淳さん(元県立高教諭)が科学的に分析した。4点は皮子平パミス起源とみられる火山ガラスが付着した斜方輝石が入り、2点は富士火山起源と推定されるカンラン石を含むことが分かった」。増島さんは同古墳発掘調査報告書の中で「10点とも県東部の比較試料と元素組織、鉱物組成ともに類似することなどから、土器の産地は駿東・伊豆地域のいずれかにあり、今後、さらに分析数を増やし正確な産地を知る必要がある」と述べている。

 池谷さんは「調べた10点は大廓式の典型的な胎土のものを選んだが、白い粒々は全てが軽石ではなかった。軽石を意識して入れたのか、偶然入ったのか? 土の採取場所の絞り込みも含めて再度、詳しい調査・分析に期待する」と要望。前島さんも専門家の分析を求めた。県東部の考古学と伊豆半島ジオパークの関係者が連携して取り組み、皮子平パミスの使用や製造場所の特定ができれば伊豆半島ジオパークにとっても新たな魅力が増す。

 ■何に使ったか 貯蔵・運搬祭祀用? 東海大北條教授「稲モミ入れ運んだ」

 大廓式の大型壺は、いったい何のために作られ、何に使われたのか―。保存や運搬が目的で物を入れコンテナ的に使った実用品だったか、葬送儀礼のほか豊作などを祈る祭祀[さいし]用か、同盟の契りの品だったか? 考古学関係者の間で謎だ。

 東海大の北條芳隆教授(62)は「稲モミを入れ運んだ」と独自の論を唱える。「弥生時代後期以降に水田開発は大型化し、農耕文化は西日本から東日本に伝播[でんぱ]。経済活動の一環で当時の貨幣としての稲モミと、種モミとして駿河の人々が大型壺に入れ、海―川を船で関東内陸部へ運搬(入植)した。運んだ種モミは先進地の登呂や山木(伊豆の国市)産が最有力」。

 さらに「大廓式土器の特徴である口縁部端内面の凸帯は、木蓋[ふた]をはめ込み固定させる工夫だったのではないか。皮革製の布で全体を覆い、ひも掛けすれば密閉が可能。ひも掛けに適した形態であることも注目したい」と提起する。ただ池谷さんは「あの大きな壺に稲モミを入れれば相当な重さになる。考えられない」と反論する。

 佐藤さんは「時代はさかのぼるが、東京・弥生町で明治時代に発見された弥生式土器も、関東南部に進出した駿河の人々が作った土器といわれる」のほか「大型壺の東日本への搬出には船が使われ、航海術に優れた伊豆の海洋民が運搬を担った可能性もある」と解説した。

 続けて「大廓の大型壺が西日本から出土した例は10件程度、広がりは東日本のみ。大型壺は四国や九州などでも作られ、西日本では墓で使う壺は決まっていた。畿内や西日本から見れば駿河の文化レベルは低く、大型壺をわざわざ駿河から取り寄せる必要があったのか?」と疑問視する通り、西日本での需要は低かったようだ。

 柳沼さんの調査では大廓式大型壺や模倣品の確認(駿河を除く東日本)は102遺跡、219例を数え、「半数近くが住居跡から出土し、それらは本来の役目を終え、再利用(渡井さんは口縁部破片の炉址などへの転用を指摘)の後に廃棄されたものだろう」と推測した。その上で大廓初期の段階だが南伊豆町の日詰遺跡では周溝墓から見つかったほか、他遺跡の出土状況から水辺祭祀や農耕祭祀など祭祀行為の実現のために使われた可能性を挙げる。

 池谷さんは同盟の証しや高尾山古墳の出土例を交え祭祀用、渡井さんは伊豆の特産品(何か不明)を入れ運んだ可能性や副葬品など、使用目的が分かる新たな出土に期待する。

 【写説】大廓式の大型壺の特徴の一つである口縁部内側の凸帯。後でひも状の粘土を貼り付け作ったとみられる=写真はいずれも沼津市文化財センター

 【写説】大廓式の大型壺の特徴である分厚い口縁部。作った人の意匠か凸線は1本もあれば、5本(写真)もある

 【写説】大廓式土器の胎土に使用したとみられる皮子平火山の土石流堆積物(沼津市内で採取)

 【写説】白い粒々が天城山・皮子平火山噴出物の軽石とみられる

 【写説】大廓式土器の分布(福島大の柳沼特任教授、2013年11月作成)

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