寄稿=伊豆・伊東のゴルフ物語(17) 川奈リンクスは永遠に(関東ゴルフ連盟広報委員会参与・福島靖) 

2018年09月29日

川奈のゴルフコースと元気な頃の伊藤正徳
川奈のゴルフコースと元気な頃の伊藤正徳

 ■大倉財閥の川奈進出

 大倉財閥の初代大倉喜八郎(1837~1927年)は新潟の出身で、18歳の若さで江戸に出た。かつお節の行商をしていたが、江戸幕末の維新の動乱を機に、鉄砲の商売でひともうけする。

 官軍と彰義隊の戦争を、早くから官軍の勝利と見越し、官軍に鉄砲を安く売ったと伝えられる。そのおかげで一代にして大倉財閥を築いた。大倉の見通しの良さは、子息の喜七郎(1882~1963年)に受け継がれている、といわれた。

 東京から近い距離にある温泉地の伊東は、冬も温暖、湯量が豊富で、今日の東京都民から見ると休養のための絶好のオアシスだ。ここにゴルフ場があったら…。ゴルフ好きな人はそう考えるだろう。実際にゴルフ場の建設が始まったのは昭和の初期。大倉財閥が川奈で建設に乗り出した。コースの完成後にホテルが出来たが、規模、内容ともに東洋一といわれた。

 ゴルフ好きの文筆家で『連合艦隊の最後』の著書で知られる伊藤正徳(1889~1962年)の言葉を借りると「たとえ、本渓湖の鉄鋼は尽きるとも、川奈リンクスは永遠に在る…」。

 本渓湖というのは、喜八郎が投資して旧満州に造った製鉄所である。新中国製鉄所の近代化計画で、この本渓湖が脚光を浴びた時代がある。1905年ごろ(明治時代の終わりごろ)の話だ。

 喜七郎が川奈のリンクス(大島コース)を造ったのは28(昭和3)年のこと。

 その川奈のことをさらに伊藤正徳の言葉を借りると「本渓湖の埋蔵量は何億トンあるかは知らないが、それが尽きる日はいつか来るだろう。だが川奈のコースだけは永遠に存在せざるを得ない」。川奈のゴルフ場の魅力を表現した言葉だ。

 ※リンクス 海沿いに、地形や植物など自然を生かして造られたゴルフ場のこと。

 【写説】川奈のゴルフコースと元気な頃の伊藤正徳

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