伊豆の低山を歩く ジオてくの楽しみ41=高野山・庄司山(松崎町)

2018年06月26日

1.道なき道を登ると山中の巨岩のひさし下に十一面観音像(右)とイノシシに乗る三面六臂の摩利支天像が安置される
1.道なき道を登ると山中の巨岩のひさし下に十一面観音像(右)とイノシシに乗る三面六臂の摩利支天像が安置される
2.昔、堂があった平たん地の岩窟に安置される釈迦如来座像(右)、文殊菩薩像(左)、不動明王(奥)
2.昔、堂があった平たん地の岩窟に安置される釈迦如来座像(右)、文殊菩薩像(左)、不動明王(奥)
3.そそり立つ岩が倒れて重なりできた洞窟(閻魔真行)の奥に多くの石仏が見られる
3.そそり立つ岩が倒れて重なりできた洞窟(閻魔真行)の奥に多くの石仏が見られる
4.高野山の入り口付近にそそり立つ巨岩。ケヤキも巻き込む。霊場の雰囲気を高め、岩の中段に弘法大師像が安置される
4.高野山の入り口付近にそそり立つ巨岩。ケヤキも巻き込む。霊場の雰囲気を高め、岩の中段に弘法大師像が安置される
5.高野山の入り口付近にある長い石段。登り口を左に入り登ると十一面観音像など、左の小高い大きな石に線刻がある
5.高野山の入り口付近にある長い石段。登り口を左に入り登ると十一面観音像など、左の小高い大きな石に線刻がある
登山データ表
登山データ表
登山ルート図
登山ルート図

 ■山と人々=圧倒する石仏群、岩峰 江戸時代末に安置か

 松崎町八木山[やきやま]の高野山は、伊豆では貴重な真言密教の霊場である。中国の水墨画を思わせる奇岩があちこちにそびえ立ち、岩窟[がんくつ]などに多くの石仏が安置される。昭和30年代まで庶民信仰の霊場として近在近郷から多くの信者が訪れにぎわった。今はすっかり寂れてしまったが、霊場としての面影を残しつつ、西伊豆の山中でひっそりと存在感を放っている。

 弘法大師(空海)が訪れて霊場を開こうとしたとか、文覚上人[もんがくしょうにん]が修行をしたとの伝説があるものの、下田市の上原美術館・主任学芸員の田島整さん(48)は「その事実はなさそうで、江戸時代末期に諦然[たいねん](泰然)阿闍梨[あじゃり]という僧侶がここで修行し、密教の行場として広まったのが真実のようだ」という。

 八木山の元県立高校長・田口宣[のぶ]さん(91)方には3代前の熊太郎さんが箱裏に書き留めた諦然に関する記述や僧衣なども残る。「箱裏には三河の人で、天保年中(1831~45年)に当地に来たことが記され、諦然さんはうちの離れに滞在して村人に灸[きゅう]を施し、その後、明治時代に東京に出て寺の住職をしながら行った『弘法のお灸』が人気を集めた」。

 一説には、修行を終えた文覚上人の衣に野バラがからまり、八木山へとどめたことから、同地では野バラをモンガクバラと呼ぶとの伝承もある。

 田島さんは「阿〓如来[あしゅくにょらい]像、摩利支天[まりしてん]像、虚空蔵菩薩[こくうぞうぼさつ]像、毘沙門天立像など石仏は珍しいものが多い。全国的に見ても貴重な場所だ」のほか「保存に力を入れるべき」と提言。加えて「伊豆最古の地誌である『伊豆志』(1716~36年)や『掛川誌稿』(松崎は掛川藩の領地、1805年に編さんを命じる)にも出てこない。これより時代的に新しい裏付けでは…」と分析する。

 八木山の地名は農作物を作るために野山を焼く焼け山が語源。八幡神社から下方の裏山が庄司(荘司)山で、ここに佐藤荘司という平家の落ち武者が隠れ住み、後に見つかり一族が自刃したといわれる(鎌倉時代)。

 切り立った岩山で、元大工の佐藤尚雄さん(75)の案内で巨岩の上にあったという石の祠[ほこら]を探しに行ったが見つからなかった。登る道はない。不吉な場所で里人も近づかないなどと町史にあるが「子どもの時分にはよく登って遊んだ。行ったのは60年ぶりで、祠は獣が落としたのだろうか」と佐藤さんは首をかしげた。

 ■登山記=伊豆第一級の霊場 珍しく貴重なものばかり

 高野山へは4カ所の空き地のうち、いずれかに車を止め、思い思いに歩いてほしい。林道は細いものの運転に自信のある人なら、間近まで行ける。林道沿いには渓流があり、清らかな川の流れを見たり、水音を聞きながら歩くのも涼を味わえて良い。バス利用は松崎から八木山行きがあり、終点バス停から歩いても1時間ほど。

 高野山の入り口付近は、巨岩がオーバーハングしてそそり立ち圧倒される。「その高さ3、4メートルほどの所に弘法大師の石仏があり、どうやって安置したのか不思議だ」。田口宣さんに教えられた通り探したら、小さな像が崖の途中にあった。

 入り口から細い道を上がると、間もなく白いコンクリート製の堂兼休憩所がある。今は使われていない。田口さんは「この付近には以前、おこもり堂があったが、明治末に火災で焼けた」という。

 長い石段を上ると「南無阿弥陀仏」と刻まれた石塔、その側面に「美濃国中嶋郡市枝村 渡辺喜十郎」とあった。後ろには両脇に童子を従えた小さな毘沙門天立像がたたずむ。台座にある通り、八木山の下の集落である峰の人々が建立したものだろうか。

 石段を下ると平たん地に出た。「ここには昔、瓦ぶきの堂があったが、戦後、昭和20年代に岩の崩落(崖崩れ)で下の道まで流されたと聞いた」と田口さん。左手側を振り返ると岩窟に不動明王、文殊菩薩、釈迦如来の3体の石仏を安置。台座の文字から安政4、5年(1858、59年)に峰村の住人が寄進したものらしい。

 ここにも岩峰が切り立ち、奥には倒れて重なり洞窟になった閻魔真行[えんましんぎょう](心経)がある。登り口の灯籠[とうろう]の間を通り、朽ちかけた急な階段を上ると石仏がいくつもあった。右から薬師如来、弥勒菩薩[みろくぼさつ]、聖観音、さらに上の岩穴に阿弥陀如来、虚空蔵菩薩、阿〓如来が見られる。最奥が奥の院で、岩穴の奥から本尊の弘法大師が静かにまなざしを注ぐ。「行き止まりで、昔は小さな滝と舟形の水受けがあった」と田口さんは振り返った。

 参道から外れ、入り口付近の長い石段の下方から道なき道を約200メートル登ると(尾根から20~30メートル下)、巨岩のひさしの下に十一面観音像とイノシシに乗る三面六臂[さんめんろっぴ]の摩利支天像があった。また登り際の小高い自然石に阿弥陀如来か観音像の線刻もあり、田島整さんは貴重なものだと指摘した。

 高野山は石仏数では「富貴野山・宝蔵院」(同町門野)に劣るが、霊場としての雰囲気は格段に上だ。

 ■ジオ解説=正体は水冷破砕溶岩 海底の溶岩流が隆起

 林道を歩き小さな橋の手前を左に折れて高野山方面に向かうと巨岩に迎えられる。多数のごつごつと角ばった岩が折り重なりくっつき合ってできた巨大な岩だ。高野山の石仏の一部もこうした岩のくぼみの中に祭られている。

 伊豆半島の南部には、伊豆が海底火山や火山島だった頃の地層が多く残る。海底火山の地層は約100万年前に起こった伊豆と本州の衝突で隆起し、その後の浸食などを経て現在私たちの目の前に姿を現している。高野山の周辺で見られる岩は海底に流出した溶岩流である。

 ハワイのキラウエア火山の溶岩がゆっくりと流れていく様子などを最近のニュースで目にした方も多いと思うが、海底に流れ出した溶岩は様子が異なる。水中に流れ出した溶岩は水で急激に冷やされ、激しい熱ひずみによってばらばらに砕けて角ばった大小の岩と、岩が砕けた時にできる細かい粉の集まりになってしまう。熱い飲み物を入れておいたガラスのコップを冷たい水につけると割れてしまうのと似た現象だ。

 こうした岩の集まりが長い年月をかけてくっつき合い、巨岩になった。水で急激に冷やされて砕かれた溶岩なので「水冷破砕溶岩」と呼ばれる。非常に不均質なため、浸食の過程で高野山の石仏が収められているような窪みもできたと考えられる。

 同様の溶岩は松崎港にある弁天島でも見られる。港湾工事で陸続きになった小さな島の周囲には遊歩道もあり、海底噴火で激しく水と反応した溶岩の姿を観察できる。島の上には厳島神社がある。また、伊豆半島南端の石廊崎も水冷破砕溶岩で、岬の先端にある石室神社は溶岩のくぼみの中に建立されている。急峻な地形と複雑な凹凸をつくる水冷破砕岩が露出する場所は信仰の場として見られてきたのかもしれない。

(伊豆半島ジオパーク推進協議会専任研究員・鈴木雄介)

 【写説】道なき道を登ると山中の巨岩のひさし下に十一面観音像(右)とイノシシに乗る三面六臂の摩利支天像が安置される

 【写説】昔、堂があった平たん地の岩窟に安置される釈迦如来座像(右)、文殊菩薩像(左)、不動明王(奥)

 【写説】そそり立つ岩が倒れて重なりできた洞窟(閻魔真行)の奥に多くの石仏が見られる

 【写説】高野山の入り口付近にそそり立つ巨岩。ケヤキも巻き込む。霊場の雰囲気を高め、岩の中段に弘法大師像が安置される

 【写説】高野山の入り口付近にある長い石段。登り口を左に入り登ると十一面観音像など、左の小高い大きな石に線刻がある

 【図表】登山データ表

 【図表】登山ルート図

〓(95a6)は間の日が全の王が人を横に二つ並べる

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