伊豆の低山を歩く ジオてくの楽しみ40=大平山(伊東市・伊豆市)

2018年05月19日

1.大平山への登山道沿いに多く植わるユーカリ。これより太い木がたくさんある
1.大平山への登山道沿いに多く植わるユーカリ。これより太い木がたくさんある
2.明治15年に掘られた柏トンネル。今は崩落し通行不能。この近くから黒曜石が出るという=伊豆市冷川側
2.明治15年に掘られた柏トンネル。今は崩落し通行不能。この近くから黒曜石が出るという=伊豆市冷川側
3.矢穴跡などがたくさん確認できる割られた築城石
3.矢穴跡などがたくさん確認できる割られた築城石
4.伊東市街が一望でき、大地の成り立ちも確認できる柏嶺の絶景地
4.伊東市街が一望でき、大地の成り立ちも確認できる柏嶺の絶景地
5.頭部がなくなったお乳女観音。ここで行き倒れた大見の女性を哀れみ建立されたという
5.頭部がなくなったお乳女観音。ここで行き倒れた大見の女性を哀れみ建立されたという
登山データ表
登山データ表
登山ルート図
登山ルート図

 ■山と人々=黒曜石の産地、柏峠 ユーカリ林や石丁場跡も

 伊東市でよく知られた大平山のハイキングコースだが、途中には旧石器時代初めから縄文時代にかけて関東一円に供給したやじりなどの原材料「黒曜石」の産出地やコアラが大好物のユーカリの群落、石丁場もある。

 黒曜石は伊豆市冷川側の柏峠(旧柏トンネル)付近から産出する。明治大黒曜石研究センターの研究員・池谷信之さん(59)=伊豆の国市=は「当時の代表的な黒曜石の産地は神津島、箱根、信州と柏峠。柏峠は産出量は少ないが良質なものが採れ、千葉県や東京都、埼玉県などの遺跡から柏峠産のやじりや肉を切るなどしたナイフ、毛皮に穴を開けたドリルなどが出土している」と解説。一帯を歩くとかけらが見つかるという。

 3万5千年前から2千年前にタイムスリップ、古代人が黒曜石を探し、やじりに加工する姿を想像するのも夢がある。冷川峠に車道が開通した後も短時間で峠を越えられる徒歩道として多くが利用し、「柏トンネルの冷川側には地震でトンネルが崩れるまで茶店が4、5軒あったようだ」と池谷さんは話す。

 ユーカリ群落は伊東市内に松川湖(奥野ダム)畔、宇佐美の古道「東浦路」沿い、八幡野、富戸などにある。オーストラリアに多いユーカリがなぜ、伊東にたくさん見られるのかは不明だ。

 地域の歴史に詳しい加藤清志さん(90)=川奈=は「大正時代の終わりか昭和の初め、農村が疲弊したため県が新しい作物としてユーカリの苗を提供、試作したと小室村の文書に残る」。

 一般的にユーカリは生長が早く、太平洋戦争前後ごろ植えられたようだが、需要のあったまくら木などに使われた記録はない。加藤さんは「小室村だけでなく、宇佐美村や松原村(丸山公園上のユーカリ林は同村管内)にも提供したと考えるのが自然」と推測した。

 江戸城の築城に使われた石材を供給した石丁場跡には、大きな石を割るための矢穴跡の残る石や地方大名の刻印石も見られる。登山道沿いにも「中」と読み取れる刻印石があり、石丁場の研究に生涯を捧げた故・鈴木茂さんは「ここには加賀前田家の石切丁場が分布していたと考えられる」と自著に記す。

 伊東市教育委員会の杉山宏生・生涯学習課長(50)は「狩野川台風前までは、二葉の採石場下辺りの寺田川沿いに築城石がたくさんあったという(山からソリで下ろした?)。小舟で松川の河口まで出し、別の舟に積み替え江戸まで運んだようだ」と説明した。

 ■登山記=“ヒメシャラの山”に驚き お乳女観音や石仏、伝説あり

 ホタル観賞などで知られる丸山公園の駐車場に車を止め、大平山を目指した。園内の樹木を楽しみながら急登を上がった。30分ほど歩くとユーカリの大木や石丁場跡が現れた。

 登り始めて1時間余で大平山の山頂に到着。下界の景色を楽しみ、広い尾根道を進むと富士山の眺望ポイントがある。一帯は林野庁や県が1997年度から4年掛け、自然を生かしつつ園路整備などをした生活環境保全林「健康回復公園・大平の森」として市民らの憩いの場だ。

 「533標準点」からは自然林内を直進するのが最短。左に下って園内を歩いても合流し、丸山公園内でも見られたヒメシャラが多くあった。それも幼木。この先、柏峠に行く途中の自然林内でも見られ、天城山に多いヒメシャラが大平山一帯にこんなにたくさん自生するとは驚きだ。

 もう少し進むと柏峠の看板が出てくる。真下を1882(明治15)年に伊東と冷川の両村有志によって掘られた柏トンネルが抜ける。中伊豆方面と伊東方面を結ぶ昔の幹線で、本来の峠はもう少し北側にあり、海山の産物が行き来し、急峻[きゅうしゅん]で難所だったためトンネルが掘られた。だが1930(昭和5)年の北伊豆地震で崩落、今は通行止めだ。

 先は平たんなコースが続き、途中に「お乳女[ちいじょ]観音」がある。赤子を亡くした大見(中伊豆)の若い女性が、母親が亡くなった伊東の赤子に乳を与えに通い、冬のある晩、帰宅途中に大雪の中で行き倒れ、里人らが哀れみ建立した。心ない人によって観音様の頭部がもぎ取られた。

 「天狗のわび証文」の伝説もある。この辺りを通る村人らに悪さをしていた天狗を僧侶が成敗し、解読不能の文字で書かれたわび証文が仏現寺に残る。

 しばらく行くと合流し、右に鋭角的に折れると石仏が多くある。昔はこの前を街道が通っていたと見られる。その先が馬場の平。柵の奥では火山の産物であるスコリアの採取が行われている。昔は伊東の小学校の遠足地だった。芝生の平坦地から踏み跡をたどり左に下れば帰り道に合流。鎖で閉ざされた「柏嶺」方面に行けば伊東市内や天城山系、相模灘など地球の成り立ちが観察できる絶景地が待っている。

 「伊東高時代、生徒を連れ湯川―沢口―馬場の平のコースで遠足をした。近場だが自然や景観が素晴らしい」と元高校長の山本信一郎さん(90)は話す。

 道なりに下ると水道山を通り、車を置いた丸山公園に戻れる。

 ■ジオ解説=宇佐美火山の一部 溶岩多く石材に活用

 大平山は宇佐美火山と名付けられた火山の一部である。宇佐美火山の活動年代ははっきりとしないが溶岩の一部から約80万年前という年代が得られている。

 天城火山などと同様、伊豆が本州に衝突して陸地化してから噴火を始めた火山ということになる。浸食が進んでいるため、現在の地形からはこの火山の範囲を推測することは難しいが、亀石峠付近から柏峠付近までその名残がある。

 宇佐美火山は西側の伊豆市にも広がっており、火山のつくるなだらかな裾野の一部が残っているが、東側は浸食が進み深い谷が刻まれている。こうした谷に挟まれた場所が大平山へ続く尾根をつくっている。

 深い谷が刻まれた結果、谷の周囲の急傾斜部には宇佐美火山の内部が露出している。宇佐美火山は多くの溶岩を流した火山で、登山道の所々に岩が露出している。こうした岩は石材としても利用されてきた。特に、徳川家康が江戸に幕府を構え江戸城を改築する際には、石材の供給地を伊豆に求めたため、多くの石材が伊豆半島東海岸を中心に採取され、江戸に運ばれた。

 伊東市では宇佐美のナコウ山にある石丁場(採石場)跡が国指定文化財にも登録されている。こうした石丁場は各地にあり、丸山公園から大平山に向かう尾根の周辺にも見られる。江戸城改築のための採石にあたっては各地の大名が作業にあたり、石丁場の中の岩石には、作業主を示す刻印が刻まれている。

 山頂を目指して歩きながら、宇佐美火山の自然と併せて歴史の名残も楽しんでほしい。

(伊豆半島ジオパーク推進協議会専任研究員・鈴木雄介)

 【写説】大平山への登山道沿いに多く植わるユーカリ。これより太い木がたくさんある

 【写説】明治15年に掘られた柏トンネル。今は崩落し通行不能。この近くから黒曜石が出るという=伊豆市冷川側

 【写説】矢穴跡などがたくさん確認できる割られた築城石

 【写説】伊東市街が一望でき、大地の成り立ちも確認できる柏嶺の絶景地

 【写説】頭部がなくなったお乳女観音。ここで行き倒れた大見の女性を哀れみ建立されたという

 【図表】登山データ表

 【図表】登山ルート図

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