伊豆の低山を歩く ジオてくの楽しみ39=婆娑羅山・吾妻山(下田市・松崎町)

2018年03月28日

1.報本寺の最初の寺があったとされる寺平。痕跡の宝筐印塔が残る。一帯は荒々しい地形だ
1.報本寺の最初の寺があったとされる寺平。痕跡の宝筐印塔が残る。一帯は荒々しい地形だ
2.吾妻山の山頂にある弟橘姫が祭神の神社。三角錐の美しい山だ
2.吾妻山の山頂にある弟橘姫が祭神の神社。三角錐の美しい山だ
3.古道旧峠の茶屋跡近くに残る馬が水を飲んだ駒止めの岩
3.古道旧峠の茶屋跡近くに残る馬が水を飲んだ駒止めの岩
4.古道旧峠の茶屋跡にある亀石。亀そっくりだが、元は地蔵が載っていた?
4.古道旧峠の茶屋跡にある亀石。亀そっくりだが、元は地蔵が載っていた?
5.国重要文化財の天城隧道より3年遅れて開通した旧道の婆娑羅隧道の松崎側口。今は中には入られない
5.国重要文化財の天城隧道より3年遅れて開通した旧道の婆娑羅隧道の松崎側口。今は中には入られない
登山データ表
登山データ表
登山ルート図
登山ルート図

 ■山と人々=巨岩織り成す寺平 荒々しく弘法大師も修行

 何とも不思議な響きの婆娑羅山が下田市と松崎町境に鎮座する。麓を通る県道下田松崎線の最高点が婆娑羅峠で、今は新トンネルで抜く。だが昔から大変な難所で、峠越えのルートは時代とともに4回変わった。

 バサラとは金剛、真実、無礙[むげ]、道智を意味する古いインドの言葉で、同地にある山の名でもある。釈迦[しゃか]が最も堅固なる信念をもち法を説いた所だという。婆娑羅山は弘法大師(空海)が修行し、同じ発音の漢字を当てはめた。

 大師の修行から約500年後。「富貴野山・宝蔵院を目指していた僧侶が山中で、山を守護する明神に出会った。『ここに堂を建てれば功徳多し』のお告げを受け、1326年に寺平[てらだいら]と呼ばれる婆娑羅山の中腹にお堂を設けた。だが大雨で荒廃して人の往来が絶え、1412年に現在の報本寺[ほうほんじ]の場所に婆娑羅山・報本寺として移り開堂した」と現住職の富永隆明さん(62)。寺の開堂後に婆娑羅山と呼び、それまでは風岩峠だった。

 寺平は知的障害児施設・つくし学園やすぎのこ作業所の奥にある。一帯は巨岩が織り成す荒々しい地形で、ジオパーク的に注目される。「弘法大師や最初に寺が設けられたのは、このような地形が修行の場にふさわしかったからでは…」と富永さんは推測する。

 現地は地名通り平らで今は人工林。寺があった痕跡として宝筐印塔[ほうきょいんとう]の一部が残る。ただ行くのには危険な崖があって注意が必要だ。湧き水が豊かで途中にワサビ沢もある。

 婆娑羅山・峠、近くの箕作[みつくり]の地名は作家・五木寛之さんが1984(昭和59)年に発表した小説「風の王国」に登場する。山などに野営し漂泊の生活を送ったとされる山窩[さんか]を描く。婆娑羅の独特な響き、字面[じずら]が作家の感性を刺激したか。峠の下田側には喫茶店「マンダラ」があり、婆娑羅山の石清水で入れたコーヒーが人気で、その「大師の聖水」が無料で取水できる。

 婆娑羅峠の松崎側の集落は小杉原。大蛇伝説があり、大蛇の骨が埋まるという蛇骨山・大蛇庵(いつしか蛇を地に読み間違え、今は荊棘山[けいきょくさん]・大地庵[だいちあん])や、猟師の信仰が厚く戦争中は武運長久、弾よけ祈願でにぎわった竜爪[りゅうそう]神社がある。婆娑羅山には姥捨[うばすて]伝説も残る。

 加増野[かぞうの]地区には形の良い三角錐[すい]の吾妻山がある。地元の村山松範さん(67)は「内陸の地だが大昔、一帯は海の底。貝の化石も近くに出る。吾妻山の山頂は島で、ここに弟橘姫[おとたちばなひめ]の櫛[くし]が流れ着き、山頂に祭神として祭った神社がある。昔、里に下ろし地区にある三つの神社を合祀[ごうし]したところ火事が起きるなど不吉なことが続いたため、再び山頂に戻した」と秘話を紹介した。

 ■登山記=旧峠の亀石、駒止めの岩 内陸部なのに…弟橘姫の伝説―吾妻山

 下田から松崎に抜ける県道の婆娑羅トンネル松崎側から登り始めた。鎖で閉ざされた産廃処分場方面に入ると、天城隧道より遅れること3年、1908(明治41)年に開通した下田―松崎を結んだ旧道の婆娑羅隧道が残る。中には入れないが、往時の面影を残す。見学した後、隧道手前から左手に入り、テープや踏み跡を確認しながら登った。

 しばらく行くと尾根に出る。トンネルの下田側からも登れ、静岡第一テレビの2基あるアンテナの間に出た後右手に進むと、松崎側から上ってきた道と合流する。ここからは急斜面を直登する形で山頂を目指す。登山道はなく、迷わないようにテープを確認しながら慎重に歩を進める。

 元県有林監視員で山に詳しい村山松範さんは「以前はつくし学園の奥から山頂へ行けたが、今は荒れて通行不能。急峻[きゅうしゅん]だがトンネル側からのルートが最短」と教えてくれた。

 ただ現在の婆娑羅山は多くが人工林(県有林)で、山頂は視界が開けず、登るルートも変化に乏しくて面白みに欠ける。だが周辺には全く表情の異なる地形など目を引く場所や歴史がたくさんあって面白い。

 山頂から同じルートを引き返し、トンネルの松崎側、下田側からの登山ルート合流点や第一テレビのアンテナを通り越し、尾根を進む。道はなくテープが頼り。途中険しい場所もあり、自信のない人は登山口に下って終点から登った方が良い。婆娑羅トンネルの真上を若干過ぎた辺りに出た。古道の旧峠だ。ここの北側の谷あい(通過点)には隧道建設の5年前に完成した馬車道もあった(今は痕跡なし、電線敷設のガイシが残る)。

 旧峠には積んだ石や墓碑など人工構造物が残り、寺社跡のような雰囲気があるが、古道の調査をしている小学校教諭・鈴木秀伸さん(60)=下田市東本郷=は茶屋跡だという。「少し下った場所に馬が水を飲むための自然石をうがった駒止めの岩があり、峠を越える馬がここで動かなくなったことが名の由来。亀そっくりの亀石は甲羅の部分が窪み、地蔵が載っていたようだ。地蔵がなくなり、後世の人が亀石に仕立てたか?」

 標識に沿って下れば、すぐにトンネル松崎側口付近に出る。下る途中の巨岩はどれも角が取れて丸みを帯び、元来は海の底で一帯が隆起したことを想像させる場所だ。

 車に戻り寺平や、再び車で少し移動して吾妻山に立ち寄った。吾妻山は急登だが、わずかで山頂。スダジイやツバキが多く自生する美しい山だ。登山道も整備され、地元の人が設置した何合目かを記す標識もある。

 ■ジオ解説=海底火山、名残の地層 伝説や地名は災害伝える

 伊豆半島南部には伊豆が海底火山だった頃の名残の地層が広がっている。伊豆と本州の衝突に伴い隆起し、その後の長い浸食によって、標高は高くないものの急峻な山地となっている。

 海底火山の地層は火山灰などが堆積してできた凝灰岩などの比較的柔らかい地層と、地下で固まったマグマや溶岩などの硬い地層があり、硬い部分が山地を形作ることが多い。婆娑羅山も海底火山の名残である。

 婆娑羅山の標高400~450メートルより上は溶岩などの硬い地層で、「寺平」付近で見られる巨岩もこうした硬い地層の一部であろう。

 一方、婆娑羅トンネル付近は主に凝灰岩の地層から成り、相対的に標高が低く峠(婆娑羅峠)をつくっている。凝灰岩の地層は婆娑羅山の周囲、下田市加増野や松崎町池代、小杉原にも広がっている。この地層の中からは、貝殻やウニ、サメの歯の化石なども多く見つかり、数100万年前の浅い海にたまった地層であることが分かる。

 小杉原には、地域を困らせていた大蛇を猟師の娘が退治し、その骨を埋葬したという伝説があるそうだが、付近の地層から化石が見つかることが、大蛇の骨を連想させたか。

 蛇の伝説や蛇が付く地名は各地に見られ、そうした伝説や地名の一部は土石流などの災害を伝えるものであるという。大蛇伝説が災害を伝えるものかは不明だが、風化の進んだ凝灰岩の地層などは脆弱[ぜいじゃく]で、土石流や崖崩れが運んできた土砂が渓流の周りに堆積して小さな平地をつくるなど、婆娑羅山の周囲には多くの土砂災害の痕跡となる地形が見られる。

 この地域に関わらず、古い地名や伝説、地形などを調べ、起こりうる災害や、災害と向き合ってきた先祖の知恵などを知ることは大切なことである。

(伊豆半島ジオパーク推進協議会専任研究員・鈴木雄介)

 【写説】報本寺の最初の寺があったとされる寺平。痕跡の宝筐印塔が残る。一帯は荒々しい地形だ

 【写説】吾妻山の山頂にある弟橘姫が祭神の神社。三角錐の美しい山だ

 【写説】古道旧峠の茶屋跡近くに残る馬が水を飲んだ駒止めの岩

 【写説】古道旧峠の茶屋跡にある亀石。亀そっくりだが、元は地蔵が載っていた?

 【写説】国重要文化財の天城隧道より3年遅れて開通した旧道の婆娑羅隧道の松崎側口。今は中には入られない

 【図表】登山データ表

 【図表】登山ルート図

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