寄稿=伊豆稲取および灯台群(9) 稲取灯台研究家・佐藤衛  

2017年12月28日

伊豆岬灯台(左)と稲取岬灯台。建築年代は異なるが、灯塔の構造は四角形である
伊豆岬灯台(左)と稲取岬灯台。建築年代は異なるが、灯塔の構造は四角形である

 ■稲取灯台建築のきっかけ

 稲取漁民がなぜ灯台を必要としたのか、いまだ答えは見つからないが、三宅島に出稼ぎに出ていた、稲取と房州の漁民の海難事故の悲劇が、伊豆岬灯台の建築計画を促進させ、この灯台の建築計画を知った稲取漁民が、稲取灯台の建築を決断したと推察している。

 明治37(1904)年に発生した、この海難事故のことは、稲取ではあまり知られていないようである。慰霊碑がある、稲取漁民の二重海難事故が発生したのは、明治35(02)年のことである。

 2基の灯台には、いろいろと共通点があり、漁業のために漁民たちが資金を出し合って建築した数少ない灯台で、いずれも明治42(09)年に完成している。なお、伊豆岬灯台と稲取岬灯台にも、灯塔の形状が四角形という共通点がある。

 伊豆岬とは、江戸時代に食料増産を目的として、伊豆半島方面から送り込まれた人々が、時折りこの岬から遠い故郷を眺めたことから「伊豆見崎」といわれるようになった(三宅島史より)。

 稲取の漁業に関して調べていて、伊豆稲取と房州安房のつながりを知った。安房漁民の労働歌である「元祖安房節」の唄い出しは、「アエ~伊豆じゃ稲取 房州じゃ布良よ…」であり、布良崎神社(館山市布良)の立派な石垣は、漁師が稲取の海岸から運んだ丸石を積み上げて造られていて、以前は漁師たちの深い交流があったことが伺える。

 各地から江戸・東京に鮮魚などを運搬していた手こぎの和船に、押送(おしおくり、おしょくり)船がある。葛飾北斎の有名な浮世絵「神奈川沖浪裏」に描かれている3艘の船は、押送船だとされている。稲取にも江戸時代には、この船があったことが記録されている。

 昨年、日本ロマンチスト協会の事務局に、稲取灯台を提案してみたが、候補に挙がっていないようであった。廃灯は選考対象ではないかもしれないが、稲取岬灯台と混同されたかもしれない。稲取岬には「恋愛岬」(歌=鳥羽一郎さん)の歌碑があり、ロマンチックなイメージはある。

 【写説】伊豆岬灯台(左)と稲取岬灯台。建築年代は異なるが、灯塔の構造は四角形である

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