熱視線=封印されてきた戦線鉱業仁科鉱山―西伊豆町白川(3)

2017年11月07日

岩壁を掘り、コンクリートで強固に造られた火薬庫跡。ダイナマイトなどを保管した。70年以上たっているようには見えない
岩壁を掘り、コンクリートで強固に造られた火薬庫跡。ダイナマイトなどを保管した。70年以上たっているようには見えない
あちらこちらに石積みがあるが、何のために設けられたか元従業員の斉藤さんも不明という
あちらこちらに石積みがあるが、何のために設けられたか元従業員の斉藤さんも不明という
仁科鉱山の下方にある“人面岩”の裏側が赤川の語源になった赤色に染まる源流部だ。その色は鮮烈。一帯は硫黄の強い臭いがした
仁科鉱山の下方にある“人面岩”の裏側が赤川の語源になった赤色に染まる源流部だ。その色は鮮烈。一帯は硫黄の強い臭いがした
巨岩の側面から石が抜け落ち、残った形状が人の顔に見える“人面岩”
巨岩の側面から石が抜け落ち、残った形状が人の顔に見える“人面岩”

 ■悲劇の地を訪ねる―当時のまま火薬庫残る 道は今、各所で崩落

 駿河湾に注ぐ伊豆西海岸の仁科川沿いを大沢里[おおそうり]方面へさかのぼり、途中を右折すると西伊豆町の白川地区だ。集落を通り過ぎ、白川に沿って車を走らせると、ゲートで閉ざされた林道脇に中国人殉難者の慰霊碑がある。有志が募金を集め1976(昭和51)年に建立した。同町出身の彫刻家・堤達男さんの「鎮魂」と題された像が建ち、じっと祖国の方角を見詰める。

 赤川橋を渡ってすぐ右折し、赤川林道方面に進むと間もなく鳥居と90段の石段上に祠[ほこら]が2基並んだ山神社がある。江戸時代からの山神で、国有林内で作業する林業関係者の信仰を集める。中国人らは鉱山への行き帰り、この神社前を通るたびに「今日も無事に生きられますように」と祈ったのだろうか。

 林道をしばらく進み、標識に沿って赤沢歩道へ分岐する。現在は伊豆森林管理署の関係者用の作業道になっているが、ここはその昔、道幅が2メートル余あって鉱石を満載したり、作業員を乗せたりしたトラックが通行し、作業員たちも毎日歩いて通った。当時、赤川の崖沿いに苦労して造った道だが、今は各所で崩落するとともに落石が道をふさぐ。森林管理署がロープを張るなど転落防止策を施した場所もあり、危険なため通行はお薦めできない。

 途中、道が途絶えている箇所もあり、ヤブ状態の川沿いを進むと再び昔の道が現れた。元従業員の斉藤照武さん(90)は「その先の少し広い場所が採石した最も下方(第1工区)のヤキマコと呼ばれた所で、ここでは余りミョウバン石は取れなかった」という。

 さらに沢沿いを上ると石積みの上に岩壁が迫り、岩に掘った穴を利用したコンクリート製の箱形施設があった。「間違いなく火薬庫跡だ」と斉藤さん。当時、岩塊を吹き飛ばすのに使ったダイナマイトなどを厳重に保管した場所で、ほぼ完全な状態で残っていた。慰霊碑からここまで約2・5キロあり、やっとミョウバン石を採掘した鉱山らしい姿が現れ始めた。

 ■飛行機の原材料ほぼ利用されず? あちこちに謎の石積み

 仁科鉱山内に入ると、山中に石積みした箇所がたくさん出てきた。石積みのほか、トラックが通行した右岸側終点の上方にコンクリートの大きな基礎が残るが、斉藤さんは「これらは何だか分からない。終戦前後の7~9月の3カ月間、召集されて九州などに行ったため、この間に造られたのではないか」と首をかしげた。「石積みは崩落防止と土砂などの一時保管場所、コンクリートは対岸から鉱石を運搬するケーブル施設の基礎ではないか」という人もいる。

 「ミョウバン石の採掘は主に川の反対(左岸)側で行い、当時は対岸に渡る橋があり、そこまでトラックが入った。石積みの上に採掘した鉱石を集め、木の扉を開けてトラックの荷台に落として積み込んだ。その上方一帯の長九郎山北側直下(長九郎林道下側)まで採掘した。たくさん採った所は10メートルぐらい掘り下げたが、穴にはなっていないので危険ではない」

 斉藤さんによれば手掘りで採掘されたミョウバン石は、もっこやトロッコで集めた後、ガソリントラックに積んで慰霊碑の下側の中継ぎ所まで下ろし、ここで木炭車に積み替え仁科(沢田)の港まで運んだ。相当な量を搬出したという。

 「トラックは当時貴重だったガソリン車が2台、木炭車は3~4台あった。山中は力のあるガソリン車を使った。港に運ばれたミョウバン石は浄国寺や法眼寺の裏辺りに降ろし、船に積んで蒲原(現在の静岡市清水区)の日本軽金属の精錬工場まで運んだ。だが本当に飛行機の材料になったかは分からない。鉱石はほとんど利用されなかったとの見方もある」と、斉藤さんは上司らから聞いた話も交えて推測した。

 ■鉱山下まで真っ赤な川 “人面岩”にびっくり

 白川集落の上流一帯には白川のほか赤川、赤沢、また黒沢もあり、狭い地域で白、赤、黒の3色が地名に登場するのは伊豆半島でも珍しい。いずれも鉱物などによる「色」から命名されたとみられ、特に赤川の赤銅色は鮮烈で、白川もじっと目を凝らすと白濁しているように見える。

 赤川をたどって仁科鉱山跡を探索すると、慰霊碑から2キロほど上流で赤色がほぼ消えた。赤沢歩道沿いに樹木の根が表面を覆う巨大な岩塊がある場所の裏辺りで、沢に下りると巨岩の裏側で対岸の山裾(崖)から水が染み出していた。どうやらここが赤色の供給源らしく、硫黄の鼻を突くような臭いもした。赤色の正体を調べると水そのものは無色透明で、長い年月をかけて石や川底が赤く染め付けられ、また沈殿物によっても赤く見えるようだ。

 この巨岩の側面に、はまっていた別の石が落下した穴がいくつもあり、面白い形状のため写真を撮った。現場では気付かなかったが、帰社後に印刷すると背筋が凍り付いた。岩の一部が顔に見えるのだ。それも複数。鉱山跡の探索に同行した源久政男さん(78)=伊東市宇佐美=に見せると「確かに顔のようだ。赤い血のような川は、ここから発生していた」と…。ただ顔は西洋人に近い風貌で安堵したが、それにしても偶然と自然の造形に驚いた。

 一方、斉藤さんによれば1974(昭和49)年の伊豆半島沖地震の際には「山神社の鳥居少し上の林道沿いから温泉が湧き出した。だが1カ月後に見に行ったら水になっていた」という。一帯は赤川、ミョウバン石なども含めいずれも火山による産物で、ジオパーク的にも大変興味深い地域だ。

 ここより上流は赤色が消えて無色透明となり、アマゴかイワナか?大きな魚影も確認できた。地元の人は真っ赤な色をした赤川に生き物はいないという。斉藤さんは「慰霊碑に近い、赤川合流点の少し上の白川では大きなアマゴを釣ったことがある」と話した。

 また「昔、わが家の田んぼがあった八瀬[やせ]は湯花のような白い土で覆われ、地熱があって温かかった。諸坪峠[しょつぼとうげ]へ行く途中の白川上流が黒沢で、黒いような赤いような場所もある」。赤川は白川に合流し、その白川が合流する仁科川は色が消え、透明度の高い、きれいな水質が自慢で、初夏から初秋は多くのアユ釣りファンでにぎわう。(文、写真 森野宏尚)

 【写説】岩壁を掘り、コンクリートで強固に造られた火薬庫跡。ダイナマイトなどを保管した。70年以上たっているようには見えない

 【写説】あちらこちらに石積みがあるが、何のために設けられたか元従業員の斉藤さんも不明という

 【写説】仁科鉱山の下方にある“人面岩”の裏側が赤川の語源になった赤色に染まる源流部だ。その色は鮮烈。一帯は硫黄の強い臭いがした

 【写説】巨岩の側面から石が抜け落ち、残った形状が人の顔に見える“人面岩”

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