伊豆路=下賀茂温泉とメロン(南伊豆町、郷土史家グループ「南史会」会長・渡辺守男)

2017年09月03日

 今、一般に食べられるマスクメロンは旧ペルシャが原産である。明治維新で日本に伝わったが多雨多湿で露地栽培は難しく一部の貴族が趣味に、また新宿御苑や戸越農園、千疋屋、都立園芸高がガラス温室で石炭を熱源に少量作るだけだった。

 明治から昭和に政財界で活躍した波多野承五郎の実弟・豊田しゅう吉は大正8(1919)年、下賀茂字湯本に2千坪の土地を買い求めた。そこに湧き出る100度近い温泉を熱源に300坪の温室を建て、瑞宝園と名付けた。子息・愛作とともに日本の温室園芸の第一人者・五島八左衛門の指導のもと、栽培を始めた。各地から視察や研究者が訪れ、特に遠州の中泉農学校は熱心だった。塚本金次郎をはじめ加藤、鈴木、小立らは近くの福田屋旅館を宿とし遠州に帰って静岡メロン、ひいては日本のメロン栽培の礎となった。

 大正末期から昭和は瑞宝園の絶頂期だった。下田港から東京竹芝桟橋、築地へ送り市場価格を左右した。また沼津御用邸で静養された大正天皇はメロンがお好きで、たびたび拝命を受け献上した。

 こうした背景から中泉農学校を卒業した福田屋旅館の長男・渡辺栄は昭和3(28)年、小規模ながら栽培を始めた。弟・正雄(筆者父)がこれを担当し、2人の名から栄正園とした。その頃福田屋旅館に投宿した幸田露伴は「下賀茂や 二月中旬 瓜つくり」という句を詠んだ。同8(33)年に安藤(南恵園)吉田(伊古奈)らが外から来て大規模に栽培し、地元の人も大なり小なり温室を作った。同50(75)年ごろまで十数軒がメロンや花を作った。今は1軒が頑張っている。瑞宝園は同19(44)年、太平洋戦争の激化と後継問題で大きなメロンの“種”を残し閉園した。

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