伊豆の碑巡り 71/顕彰碑編 11=小川宗助顕彰碑(函南町) 地域や伊豆のため奔走(桜井祥行)

2017年05月14日

さまざまな立場で地域のため奔走した小川宗助を顕彰する碑=函南町塚本の興聖寺
さまざまな立場で地域のため奔走した小川宗助を顕彰する碑=函南町塚本の興聖寺
小川宗助顕彰碑(函南町)
小川宗助顕彰碑(函南町)

 江戸時代から明治時代になって、地方行政を担ったのはかつての名主階級であった。彼らは明治時代になり戸長(副戸長)と呼ばれ、これまでの邸宅が地域の役場(役所)となり、ここを窓口としてさまざまな地域の行政手続きを行ったのである。

     ◇……………………◇

 小川宗助(別の名を它山[たさん]、1830~86年)もその一人で、彼の父親は仁田村(現函南町)の名主である仁田家から塚本村(現函南町)に婿入りし、宗助は浜村家(現在の伊豆の国市北江間)出身ではあったが1859(安政6)年にその家督を継いだのである。小川家は三島宿(三島市)の宿場役人として駅伝(遠距離を中継、または交代しながら連絡)業務に従事し、宗助は70(明治3)年より75年まで、土地や地租の取り扱いなどに関する布告や達書等の書留業務を行う一方、戸長と同時に第4大区7小区の副区長を務めた。

 地租改正の折に箱根山の三島宿外52カ村の入会地が官有地として編入されたため、中郷村(現三島市)の大村和吉郎、大竹村(現函南町)の田中鳥雄と謀り、これを民有地となるように運動した。彼らにとって箱根山は家々のかやぶき屋根や動物の飼料となる秣[まぐさ]の共有地としてなくてはならない山であったからである。彼らのおかげで民有地として認められ、現在これを顕彰して、函南町の原生の森に記念碑が建立されている。

 宗助は77(同10)年に区長となり、その後県会議員に選出され、地租改正事業に関与し、反射炉や農兵余金で学校や病院施設の整備を行った。そして伊豆半島全体(伊豆国4郡)の総代人に推され、県と地域の橋渡しとして奔走した。

 碑文に、「殖産ノ法ヲ議定シ、…鋭意国益ヲ興シ民産ヲ開クヲ以テ、己ノ任ト為シ、学校、病院、銀行、製絲、牧羊、養魚ノ如ク、方法一定歙(欣)然トシテ、緒ニ就キ、衆大イニ之ヲ便トス」と刻んでいる。

 さらには沼津・西浦の木負、長浜、三津、小海、重寺の漁民(網子)と網元の紛争を解決し、大迫貞清県令から褒章される。その傍ら碑文に「君平居勤メテ酒ヲ嗜[たしな]ミ酔ヘバ則チ論弁風生シ、鋒鋩[ほうぼう]英発シ、事多ク酔中ニ了ス」とその人となりが刻まれている。

(県立韮山高校長、伊豆の国市文化財保護審議委員会副会長)

 【写説】さまざまな立場で地域のため奔走した小川宗助を顕彰する碑=函南町塚本の興聖寺

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