伊豆の碑巡り 70/顕彰碑編 10=山口世陽先生之像(伊豆の国市) 田方の教育振興に尽力(桜井祥行)

2017年05月08日

田方郡下の校長を歴任、教育振興に尽力した山口世陽先生の胸像=伊豆の国市の韮山小
田方郡下の校長を歴任、教育振興に尽力した山口世陽先生の胸像=伊豆の国市の韮山小
山口世陽先生之像(伊豆の国市)
山口世陽先生之像(伊豆の国市)

 伊豆の国市の韮山小に胸像がある山口世陽[せよう](1864~1919年)は、名校長として名を馳[は]せた人物として知られている。

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 世陽は志太郡野田沢村(現藤枝市)出身で、静岡師範学校卒業後、北狩野村(旧修善寺町)柏久保の山口家の養子に入っている。同家は森拓平の本家にあたり、拓平がロシア正教徒であったことから、世陽もロシア正教に入信している。

 世陽は1896(明治29)年、32歳の時に函南尋常高等小学校の校長に抜てきされ、以後田方郡下の校長を歴任していく。99(同32)年に堀越高等小校長を経て、1904(同38)年に韮山尋常高等小の初代校長となるや、地元地域のみならず伊豆全体が彼の教育方針に感化されていった。

 明治末期から大正初期に小学校に登校しない、今日で言うならば不登校生徒がかなりおり、これについて山口世陽は役場と連携しながら、登校できるよう奔走している。

 そして大正天皇の御大典事業が進行する中、世陽は小学校に村有地への植林を行うことを許し、韮山小は学校林を有するようになった。これは校舎建設資金ともなり、村の財政健全化に大いに貢献した。このことで彼は勲八等瑞宝章を受章している。

 世陽は夏休みや冬休みの休業中に各種講習会に出席し、自ら教育学の勉強をしたという。韮山尋常高等小には実に21年にわたり校長として職務に就き、韮山のみならず田方の教育振興に尽力した。19(大正8)年2月の県教育会議場で病に倒れ逝去するが、ここに至るまで県内のさまざまな講習会の講師を担当した。

 韮山村では村葬を挙行し、世陽先生の遺徳をしのんだが、「静岡新報」(現静岡新聞)は、「山口氏村葬」と題して記事にしている。記事の最後に、「郷里北狩野村柏久保に送り同所の教会堂に於て基督教式の祭事を了したるが斯る葬儀は同郡初めての事なり」とある。世陽先生がロシア正教徒であったことを物語るもので、異色の教育者について記している。

(県立韮山高校長、伊豆の国市文化財保護審議委員会副会長)

 【写説】田方郡下の校長を歴任、教育振興に尽力した山口世陽先生の胸像=伊豆の国市の韮山小

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