伊豆の碑巡り 68/顕彰碑編 8=梅原寛重寿碑(伊豆の国市) 農書多く出版全国で講演(桜井祥行)

2017年04月23日

30冊以上の農業書を出版、全国で講演も行った梅原寛重の還暦を祝い建てられた碑=伊豆の国市神島の神益麻志神社
30冊以上の農業書を出版、全国で講演も行った梅原寛重の還暦を祝い建てられた碑=伊豆の国市神島の神益麻志神社
梅原寛重寿碑(伊豆の国市)
梅原寛重寿碑(伊豆の国市)

 明治時代後期に、農書などにより農学を研究し、これに自らの農業体験を加えて高い農業技術を身に付けた農業指導者や研究者を「老農」と呼んだ。伊豆半島で著名な人物として稲取村(現東伊豆町稲取)の田村又吉(1842~1912年)が挙げられる。

     ◇……………………◇

 梅原寛重(1843~1911年)もその一人で、旧大仁町(現伊豆の国市)神島の出身の農学者である。家は名主であったが、1859(安政6)年未[ひつじ]の満水の時に田畑が狩野川の洪水に見舞われ、石ころの河原となる被害を受け、家運が傾いたといわれている。家督は弟に譲り、彼が農業研究に没頭した背景に、こうした自然災害があったものと考えられる。

 まず彼が着手したのは和紙の原料となるミツマタ栽培であった。これは明治時代となって紙の需要が増したことから、この栽培方法を研究し、「三椏[ミツマタ]培養新説」を出版している。隣村の国学者であり、「増訂豆州志稿」の編者である萩原正平の教えを受けたことから、本に序文を寄せてもらっている。雁皮[かんぴ]紙についても同様に研究し、これは第4回内国勧業博覧会で有功2等賞を受賞した。

 寛重は75(明治8)年に農業の近代化と農村振興を推進しようと、勘農義会を起こし、東京の勘農義会とのパイプづくりを行い、神島の地に農産物の品種改良情報が入るよう手立てをした。彼の農業書が多く出版されたのは、こうした中央との関係があったためだと考えられる。

 著作目録を見ても分かるように、毎年のように出版された農業書は30冊以上、論文を含めればそれ以上である。「農家年中行事」は今日もなお活用されている農業書であり、「永代応用農家暦」は18版を重ねている。これは明治時代の農家にとっての愛読書となり、全国的にも寛重の名は知られるようになり、各地の講演に招かれた。

 碑は神島の神益麻志[かんますまし]神社に還暦を祝って1910(同43)年7月に建立された。かつての韮山県知事の江川英武が揮毫[きごう]し、漢詩を寄せている。

(県立韮山高校長、伊豆の国市文化財保護審議委員会副会長)

 【写説】30冊以上の農業書を出版、全国で講演も行った梅原寛重の還暦を祝い建てられた碑=伊豆の国市神島の神益麻志神社

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