伊豆の碑巡り 64/顕彰碑編 4=落合金次郎碑(河津町) 河津川の木材運搬路開拓(桜井祥行)

2017年03月27日

河津川による木材運搬のため、艱難辛苦に耐えた落合金次郎をたたえる碑=河津町梨本の子守神社境内
河津川による木材運搬のため、艱難辛苦に耐えた落合金次郎をたたえる碑=河津町梨本の子守神社境内
落合金次郎碑(河津町)
落合金次郎碑(河津町)

 落合金次郎は事業家として、1877(明治10)年に、大見村(現伊豆市)に植林を始めたことが出発である。出身は神奈川県愛甲郡宮ケ瀬村で、現在の清川村にあたる。大変貧しい家ではあったが、炭焼きや狩猟で生業を得ていたようである。

     ◇……………………◇

 清川村一帯は江戸時代は韮山代官・江川家の所領であり、明治時代以後も足柄県に組み込まれていたことから、伊豆地域に来たと思われる。ここで天城山系の良材が多く伐採されるのを憂い、ヒノキや杉の植林に着手したのである。

 天城山より北側は狩野川の水運を利用すれば、木材などの運搬は可能であるが、南側は困難を極めた。そこで金次郎は上河津の道路を整備し、河津川を利用して木材を搬送する事業に着手する。植樹という仕事と開道の仕事の双方を実に16年にわたり艱難[かんなん]辛苦に耐えたのである。この間、植樹した苗木は400万株、水陸路の開通には十数里をかけている。

 こうした金次郎について石碑では、「崔嵬天城嘉樹植焉斧斤伐之将若牛山誰補其〓……」と詠み、牛山のごとく岩山そびえる天城の木々を斧斤をもってなぎ倒すことに挑む金次郎の姿をたたえている。これは中国古代の孟子の「告子上」を引用してのものとも推測される。

 碑文は佐倉藩(千葉県)出身で、明治時代に劇作家・批評家として活躍した依田百川(1833~1909年)が考案し、近江国(滋賀県)出身の政治家であり、明治の三筆の一人である巌谷修(1834~1905年)が書した。題字については、薩摩藩(鹿児島県)出身で鹿児島県令や初代北海道長官に就任した岩村通俊(1840~1915年)が揮毫[きごう]している。

 そうそうたる人物がこの碑の建立に関係しているが、その理由ははっきりしない。本連載16回に登場した下河津村の黒田重兵衛が、この碑を建立していた時期に県会議員に就任しているので、多少関与したかもしれない。ループ橋の下には、こうした先人の碑が存在しているのである。

(県立韮山高校長、伊豆の国市文化財保護審議委員会副会長)

 【写説】河津川による木材運搬のため、艱難辛苦に耐えた落合金次郎をたたえる碑=河津町梨本の子守神社境内

 ※〓は缶の右に欠

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