伊豆の碑巡り 63/顕彰碑編 3=木村春臺君墓碑(東伊豆町) 政治、教育…発展に尽力(桜井祥行)

2017年03月19日

木村恒太郎の別邸地・竹ケ沢公園に建てられた顕彰碑=東伊豆町大川
木村恒太郎の別邸地・竹ケ沢公園に建てられた顕彰碑=東伊豆町大川
木村春臺君墓碑(東伊豆町)
木村春臺君墓碑(東伊豆町)

 木村春臺(台)こと恒太郎(恒右衛門ともいう、1836~86年)については、足立鍬太郎編「南豆風土誌」(1914=大正3=年刊行)に分かりやすく書かれているが、内容は当碑文からの引用と思われる記述である。

     ◇……………………◇

 木村は地元賀茂郡大川村(現東伊豆町大川)出身で、13歳の時に江戸に出て頼山陽[らいさんよう]の弟子である添川寛平に師事している。その後、父親の職を継いで里正(名主、村長)となり、1871(明治4)年に足柄県第5大区4小区の副区長兼学区取締りに就任し、76(同9)年には第9区長となった。当時は地租改正等に関係して公正なる処理をしたといわれている。

 そして、78(同11)年には静岡県会議員となり、彼は伊豆における国会開設請願運動に力を入れていくこととなる。これは80(同13)年9月に賀茂郡下田の蓮台寺で、伊豆半島全体の地方政治を考えていく伊豆国町村連合会が開催され、そこで国会開設の演説が契機となり、彼はそうした声をまとめ上げていく。

 木村は町村連合会の議長の立場であると同時に、伊豆国人民総代を兼ね、国会開設請願に力を注いだ。こうして伊豆半島南部からの声が北部との連携につながり、国会開設建白書を同志とともに提出するのである。そして県会議員として長くその位置にいたことから、「県会老爺」と称せられた。

 木村はまた教育において、松崎大沢村の依田佐二平らと豆陽学校(現県立下田高)の創立に尽力しているが、この過程については、「百年のあゆみ 豆陽中下田北高」に詳しい。

 さらには海運に注目し、82(同15)年に下田に会社を設立、海上交通にも力を入れるなど、東伊豆地域の発展に寄与した。

 「南豆風土誌」にはこの碑の所在を竹沢園としており、同地が木村春臺の別邸地と書かれている。竹ケ沢公園の前身であると思われるが、92(同25)年、当地に彼の顕彰碑が初代静岡県令大迫貞清揮毫[きごう]により建立された。

(県立韮山高校長、伊豆の国市文化財保護審議委員会副会長)

  【写説】木村恒太郎の別邸地・竹ケ沢公園に建てられた顕彰碑=東伊豆町大川

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