伊豆の碑巡り 62/顕彰碑編 2=三浦按針顕彰碑(伊東市) 日本初の洋式船を建造(桜井祥行)

2017年03月12日

松川下流域で日本初の洋式船を建造した三浦按針を顕彰する碑=伊東市渚町の伊東大川下流・川口公園
松川下流域で日本初の洋式船を建造した三浦按針を顕彰する碑=伊東市渚町の伊東大川下流・川口公園
0312伊豆の碑巡り地図
0312伊豆の碑巡り地図

 三浦按針(1564~1620年)は、またの名をウイリアム・アダムスといい、英国のメドウェイ市(旧ジリンガム市)出身である。1598(慶長3)年にオランダ船東洋遠征船隊に加わり、88年のアルマダ(スペイン無敵艦隊)海戦の後方支援をしている。

     ◇……………………◇

 この東洋遠征船隊が難破し、按針の乗るリーフデ号は大分の臼杵に漂着する。その後徳川家康と会い、そのまま外交顧問に就任、家康は三浦半島の逸見村の250石を与え、その地名と水先案内人の意から三浦按針と称させたのである。

 按針は伊豆伊東の伊東大川(松川)下流域を選び、ここを造船地とした。顕彰碑は、これに基づくもので1948(昭和23)年7月28日に唐人川畔に建立され、現在の川口公園に移されている。碑は次のように刻んでいる。

 「1605年~1610年の頃伊東に居住し、この間彼は唐人川河口のこの地点において80トンおよび120トンの2隻の船を建造した。それは日本最初の洋式遠洋航海船であった。初代将軍徳川家康はウイリアム・アダムスから砲術、数学及び地理学を学んだ。…」

 日本で最初の洋式船を造ったことを記念して、前年に按針祭が始まった。翌年の祭で記念碑の除幕を英国連邦占領軍総司令官H・C・H・ロバートソンが行い、ここでロバートソンは英国の詩人エドモンド・ブランデンのメッセージを朗読し、これが翌年のブランデン碑の建立につながった。

 当地域は伊東大川中流域から楠木が多く、舟材に適していたという説もあるが、江戸城の城石として伊豆石が選ばれており、事実伊豆石を運ぶ船を修復する船大工も多く伊東にはいたものと思われる。

 1604(慶長9)年ごろに、80トンほどの洋式帆船が建造された。

 按針は母国へ帰るという希望は家康には許してもらえず、その分厚遇を受けたが、家康死後の秀忠の時代になると冷遇され、20(元和6)年に長崎県の平戸で没している。

 なお、リーフデ号の船尾にはエラスムス木像が付いていた。エラスムスは「愚神礼賛」を書いたオランダの人文主義者で、彼の立像は国重要文化財として東京国立博物館にある。

(県立韮山高校長、伊豆の国市文化財保護審議委員会副会長)

 【写説】松川下流域で日本初の洋式船を建造した三浦按針を顕彰する碑=伊東市渚町の伊東大川下流・川口公園

各地の最新の写真
伊東
観光名所や食満喫、伊豆高原でロゲイニング 5月本番へ体験会
下田
しだれ桃、華やか 蓮台寺で祭り、見頃来月
中伊豆
ミニ電車“出発進行” 伊豆箱根鉄道フェスタ盛況―三島
熱海
岩佐又兵衛の作品解説 MOA美術館でセミナー―熱海

最新写真特集

伊豆のひろば投稿
伊豆パワースポットめぐり
伊豆新聞とイズハピが贈る伊豆の観光情報紙 伊豆のとっておきの春時間を満載(PDF)