天城の寒天 31=生産全国一の信州寒天も視察 元祖は小林粂左衛門(小田原短期大教授・中村弘行)

2017年03月05日

信州寒天元祖の碑=茅野市玉川穴山
信州寒天元祖の碑=茅野市玉川穴山

 大学の夏休みを利用して兵庫県の六甲山、大阪府高槻、宮崎県都城と見て回った私は、長野県にも行ってみたいと思うようになりました。その理由は二つあります。

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 一つはすでにお話ししたように、寒天は江戸時代に京都伏見で製造が開始され、摂津、丹波を経て信州諏訪地方に伝わりました。諏訪地方の寒いわりには降雪が少なく乾燥した晴天が続く気候が寒天製造に適していたため、信州寒天は大きく飛躍します。

 現在長野県の寒天生産高は全国ダントツ1位で、国内総生産の約8割を占めます。こうした発展の秘密を探りたいと思ったのです。

 もう一つは寒天製造の現場を見たいためです。天城も六甲山も高槻も都城も今は寒天製造をしていません。私が見たのはいわば遺跡です。長野県を訪れてこの目で寒天製造の生の現場を見てみたいと思ったのです。伊豆国生産会社が天城山に借りたサッカーコート7面の広さも実感してみたいという気持ちもありました。

 年が明けて2017(平成29)年1月21日、私は長野県諏訪地方の中心地である茅野市の図書館を訪ねました。1週間前に電話で連絡してあったので司書の方が、寒天に関する郷土資料をそろえて待っていてくださいました。

 また、館長さんは私が所在地を尋ねた「寒天元祖の碑」まで実際に行き写真を撮っておいてくださいました。また茅野市八ケ岳総合博物館に、江戸時代の寒天製造道具を見に行くために乗ったタクシーの運転手さんも大変親切で、乗車中ずっと諏訪地方の寒天の発展史についてお話ししてくださいました。こうした皆さんのおかげで私は、信州寒天の歴史について学ぶことができました。

 さて、矢崎孟伯「信州寒天工業発達史」(銀河書房 1993年)によると、信州寒天の元祖は小林粂左衛門です。行商を商いにしていた粂左衛門は丹波に出向いた時に寒天の存在を知りました。丹波の気候が諏訪地方と似ていることから技術輸入を思い立ち、2年間ほど丹波の寒天場で下働きをして寒天製造法を身に付け帰郷、郷里の玉川村穴山で寒天製造を始めました。それは1841(天保12)年ごろのことです。

 当初は3人の仲間と細々と製造していましたが、次第に寒天製造業者は増えていき12年後の53(嘉永6)年には11人になり、60(安政7)には21人、66(慶応2)年には28人、76(明治9)年には73人と膨れ上がっていきます。それ以降も増え続け海外への輸出も行い、93(明治26)年には粗製濫造の廃止、寒天の品質向上、販路の拡張などを目的として「信濃寒心太諏訪組合」を結成します。この時の加盟組合員は、106人に上りました。

 こうした発展の要因は、諏訪地方の気候であることは言うまでもありません。しかし、それ以外にもう一つ意外なポイントがありました。(小田原短期大教授)

 【写説】信州寒天元祖の碑=茅野市玉川穴山

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