天城の寒天 30=焚き口は地下島津寒天工場 窯跡を手弁当で復元(小田原短期大教授・中村弘行)

2017年03月04日

かまどの焚き口が地下にある島津寒天工場=宮崎県都城市
かまどの焚き口が地下にある島津寒天工場=宮崎県都城市

 9月7、8日、私は宮崎県都城市を訪れました。目的は二つです。一つは、山之口町に残されている島津寒天工場を見るためです。もう一つは市立図書館の郷土資料を調べるためです。町のあちらこちらで百日紅[さるすべり]の花が初秋の風に揺れていました。

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 初日、島津寒天工場を見学しました。都城駅からタクシーで30分くらいの山之口町にあります。山之口町は江戸時代薩摩藩の直轄地でした。地理的にも鹿児島県との県境に近い所にあります。この地が選ばれたのには二つの理由があります。

 一つは、山々に囲まれ渓流があり冬場は冷え込むこと、もう一つは、近隣の街道にはいくつもの番所や関所があり、他国の人間の目につきにくいことです。そうです、徳川幕府の目を逃れ寒天の密造、密貿易を行ったのです。

 1827(文政10)年、薩摩藩は赤字財政の渦中にありました。8代藩主島津重豪[しげひで]は財政改革を家老の調所広郷[ずしょひろさと]に託します。調所は、さまざまな施策を展開しますが、その一つが寒天製造でした。寒天を選んだところが彼の慧眼[けいがん]です。

 日本の最南端の地で寒天を作り密輸するなど幕府は考えも及ばなかったのではないかと思います。原料のテングサは甑島[こしきじま]列島などの薩摩西海岸から運び、製造した寒天は馬で約40キロ離れた錦江湾最北部の福山港に運び、そこから長崎、琉球に運んで、中国、ロシアなどに密輸したと言われています。

 翌日、都城市立図書館を訪れ郷土資料を読み驚いたことが二つあります。一つは、島津寒天工場発掘の経緯です。この寒天工場は71(明治4)年に幕を閉じ、その後は土に埋もれ竹が生い茂り、いつの間にか場所さえ分からなくなったそうです。

 ところが1981(昭和56)年、幕末薩摩に財政再建のために造られた貴重な産業遺跡を保存顕彰したいと考えた山之口町教育長の提案に心動かされた地主、役場の職員、地域住民らが、手弁当で古老の証言をもとに場所を探り当て竹の切除作業から発掘復元の作業までをやってのけたそうです。その結果、9基の窯跡をほぼ元通りの形で復元しました。そのボランティア精神に感動しました。

 もう一つ驚いたことがあります。それは、工場の構造です。かまどの焚[た]き口は地下2メートルくらいの所にあります。なぜ地下なのか。密造なのでなるべく隠したいということは根底にあるとは思いますが、それ以上に周囲は林ですから山火事防止という意味があったのかもしれません。

 天城の寒天製造工場も山中にありました。焚き口は地下に造られた可能性があります。そうであれば地中に遺跡があるかもしれません。(小田原短期大教授)

 【写説】かまどの焚き口が地下にある島津寒天工場=宮崎県都城市

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