伊豆新聞の前身である「伊東市民新聞」は1948年10月22日、創刊に当たり目標として「市民の手による明るい市政」「働く者で産業復興」「自由で健康な文化の發展」の3つを掲げたうえで「眞相を市民に」と、新聞制作の基本姿勢を次のように宣言しました。
「眞相を市民に」
曾つて新聞は寸鐡人を刺すと言はれた時代があつた。フハイせる社會惡と壓政者をついて新しい時代のために萬丈の氣をはいたこともあつた。口なき人民の口になつて一讀溜飲を下げる思いを與えても呉れた。然るに今や新聞は何をしているか?米が三日しか配給されない八月食糧は満配だと書き取引高裞の非難ゴウゴウたる九月取引高裞のすべり出し順調と書いていた。 そして愚にもつかない一事件帝銀殺人など連日紙面一杯に書いて返つて政府の無能と社會機構の不健全のために帝銀事件の何百何千倍の犠牲者を出し我が國生産の(●は「担」の旧字)當者である勞働者、農民、中小商工業者の生活を動きの取れないようにしている事實より大衆の關心をそらしている。曾つては一記者でさえ時の政府の一敵國の觀を呈した。今や無數の新聞、ラヂオはフハイせるこの現實の前に何をしようとしているか‼ 私はもう沈黙することは出來ない。能力も經濟力もはた又病後日の淺い私は體力に於てさえも不十分なこともよく承知しつゝもここに伊東市民新聞を創刋し口なき大衆の口となり僞善者どものマスクをはぎ取り闇なしには一日も生きられない世の中の病狀を白日の下に暴露し眞に大衆による大衆のための明るい祖國再建に立つ決心をした。 一切の事は先づ眞相を明らかにする事に發する。今日眞相の明らかになることを邪魔する權力が如何に強いことか‼私は今や政治的權力とグルになって神と正義の名によつて人民を壓服させようとしたカトリックに向い敢然立つたルーテルの如く 「この町の屋根の瓦が悉く、我に敵するとも我に神の力あり」と叫ぼう。そして又私には「人民の聲は神の聲である」親愛なる伊東市民諸君‼本紙を眞に諸君の新聞とするために絶大なる御支援を乞ふ。(原文のまま)